大判例

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東京高等裁判所 昭和28年(う)3434号 判決 1954年3月06日

控訴人 被告人 姜希守

弁護人 間宮三男也

検察官 小出文彦

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金参千円に処する。

右の罰金を完納することができないときは、金弐百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

被告人本人及び弁護人間宮三男也の各控訴趣意は別紙記載のとおりで、これに対し次のように判断する。

弁護人の控訴趣意について。

論旨は、本件においては被告人は道路交通取締規則違反の被疑者として司法巡査の取調を受けていたのであるから憲法上刑事訴訟法上黙秘権を有していたのであり、従つてこの場合登録証明書の呈示を求められてもこれを拒否することができるわけである、それゆえ、被告人がその呈示を拒んだのは正当な行為であつて違法ではない、と主張するのである。そこで、まず外国人登録法に定める登録証明書の呈示要求と刑事訴訟法上の被疑者のいわゆる黙秘権との関係について考察してみると、刑事訴訟法第百九十八条によれば、被疑者は検察官、検察事務官又は司法警察職員に対しその利益不利益を問わずなにごとをも供述する義務を負つていないのであつて、それと同時に自己の所持するいかなる物をも提出又は呈示する義務を負つていないことも刑事訴訟法の規定上明らかである。しかしながら、これは刑事訴訟法の上でそうだというだけのことであつて、他の法令の規定によりこの種の義務を負うことを一概に妨げるものではない。しかるに、外国人がその所持携帯する登録証明書の呈示を求められた場合にこれに応じなければならないのは、外国人登録法第十三条第二項の規定によつて生ずる義務であつて、これはその外国人たる地位に基き刑事手続とは無関係に一般的に負つている義務だと解しなければならないから、たとえその呈示要求が捜査手続の段階において捜査の任にある警察官、警察吏員からなされたとしても、その外国人としてはやはりこれに応ずる義務があるものというべく、前記外国人登録法第十三条第二項はその限度においては刑事訴訟法の規定に優先するものと解するのを相当とするから、本件において司法巡査が被告人に対し登録証明書の呈示を求めたことは、刑事訴訟法との関係においてはなんら違法だとはいえない。次に、右の呈示要求と日本国憲法第三十八条第一項との関係について考えてみると同項には「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」と規定されていて、ここにいう「供述」が狭い意味での供述に限られるか、あるいはこれに物の提出、呈示等をも含むかについても説の分れるところではあるが、一応広い見解を採つて本件の登録証明書の呈示のごときも右の「供述」に含まれるとしても、本件においては、被告人がその所持する登録証明書を呈示することが被告人にとつて不利益であつたとは考えられない。なんとなれば、憲法第三十八条第一項にいう「自己に不利益な供述」とは、自己を有罪に導く供述ないしは自己の刑事責任に関する不利益な供述を指すと解すべきところ、外国人登録証明書は氏名、年齢、住所その他主として同一性の識別に役立つ事項を記載したにすぎないもので、本件におけるがごとく被告人が交通取締規則に違反したことが司法巡査の現認によりすでに明らかとなつているような場合においては、たとえ右証明書に記載された事項をその司法巡査に知られたとしても、被告人の交通取締規則違反の刑事責任にそれ以上なにものをも附加するわけではないから、これをもつて「自己に不利益な供述」だと見ることはできないからである。もつとも、このほかに被告人がなんらかの罪を犯し、その犯人として指名手配されているような特殊の事情が存する場合であつたら登録証明書を呈示することはすなわち自己が犯人であることを示すことになるから、呈示拒否権があるということも考えられよう。しかし、本件においてはかような特殊の事情は認められないのであるから、被告人の呈示義務を認めたことは憲法第三十八条第一項に違反するものとはいえない。これを要するに論旨の主張によつては被告人の所為が正当なものであるとはいえないから、論旨は理由がない。

被告人本人の控訴趣意について。

論旨は種々主張しているように見えるが、その主張せんとするところは、要するに、登録証明書の呈示は外国人登録法に関する職務の執行に当つてはこれを求めることができるが、本件のような他の犯罪の捜査についてその呈示を求めることはできないものであり、従つて本件における呈示要求は違法であるから、これに応じなくても違法ではない、というにあるものと解される。しかしながら、外国人登録法第十三条第二項には「外国人は、入国審査官、入国警備官(出入国管理令に定める入国警備官をいう。)警察官、警察吏員、海上公安官、鉄道公安職員その他法務省令で定める国又は地方公共団体の職員がその職務の執行に当り登録証明書の呈示を求めた場合には、これを呈示しなければならない。」と規定してあつて、そのいかなる種類の職務の執行に当つて呈示を求めうるかを別段限定していないのであるから、そこに規定された者(特に警察官、警察吏員等)が行うことのできる職務の執行に当つては、それが犯罪捜査であると否とを問わず、またその嫌疑が出入国管理令又は外国人登録法違反のそれであると、あるいはその他の罪の嫌疑であるとを問うことなく、登録証明書の呈示を求める権限があると解するのほかなく、所論のように一定の犯罪の場合に限ると解することはその根拠に乏しいといわなければならない。本件においては、原審証人鶴岡七郎の証言によると、司法巡査である同人は被告人の交通取締規則違反の取調に当つてその氏名、住所等を確認する必要上登録証明書の呈示を求めたというのであつて、右の呈示要求が違法なものといえないことは、右に述べたところから明らかであるから、この点の論旨も理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 河原徳治 判事 中野次雄)

弁護人の控訴趣意

原判決は法律の適用を誤つたものである。原判決は外国人である被告人が、

第一、昭和二十八年七月二十八日午後八時三十分頃千葉市港町七十四番地先道路に於いて前面を照らすに充分な燈火をつけないで足踏二輪自転車を操縦し

第二、同日同市警察署寒川巡査派出所に於て同所勤務の司法巡査鶴岡七郎より前記違反事件につき取調をうけるに当り外国人登録証明書の呈示を求められたに拘らず故なくその呈示を拒んだものである。

との事実を確定し第一事実につき道路取締法等、第二事実につき外国人登録法等を適用して、被告人を罰金壱万円の刑に処しているが、右の中第二の事実については更らに刑法第三十五条による正当なる行為として無罪の言渡しを為すべきに拘らずこれを為さず、不当に法律を適用したもので左の理由により破毀を免れざるものと信ずる。

(一)もともと被告人は当時交通取締違反の被疑者として司法巡査の取調べを受けたのであり、原判決の確定した事実も亦「司法巡査鶴岡七郎より前記違反事件につき取調を受けるに当り」第二の犯罪が行はれたものとしているのであつて、この場合被告人は刑事事件につき明らかに防禦的地位に立ち、日本国憲法第三十八条第一項により「自己に不利益なる供述を強要されない」基本的人権を享有するものである。又この原則の現れとして、刑事訴訟法は被告人及被疑者に対し、所謂黙秘権を認めて居り「終始沈黙すること」をも可能としているのであるから、氏名年令住所等の黙秘も出来るものと解されている。然るに此の場合若し被告人が外国人なるの故を以て外国人登録証明書の呈示義務を有するとせば、被告人は明らかに其限りに於て刑事被告人としての基本的人権たる黙秘権は制限を受けることとなり、其の結果の不当なることはもとより言ふまでもない。

(二)本件訴訟記録によれば当時司法巡査鶴岡七郎は被告人に対し、「自転車の無燈火の始末書を確認するのに必要」との理由で登録証明書の呈示を求めたことになつて居り(記録、検察官に対する被告人の供述書第三項)かかる事実は被告人にとつては不利益なる事実であるから、被告人は当然これを拒否することが出来る筈である。万一、拒否し得るのは供述のみであつて、登録証明書の呈示ではないと言ふ如き論議を為すものがあれば、それは日本国憲法の人権保障に関する法意を誤り解するものと言はなければならない。

(三)被告人及被疑者が所謂黙秘権を有することは法の明示するところであり、又刑事被告人及被疑者の身分に伴つて当然発生するものであるのであつて、これが行使に必要なる範囲に於て正当に法の保護を受くべきものである。本件の場合、被告人が外国人登録証明書の呈示を拒んだのは、供述と同様の意義を有する書面の呈示を拒んだのであり、その限り正当なる行為であつて、刑法第三十五条に該当し、違法性を阻却する。叙上の理由により被告人に対しては原判決を破棄し外国人登録法違反はこれを無罪とする旨の御判決を仰ぐ次第であります。

被告人本人の控訴趣意

一、外国人登録法と表裡一体である出入国管理法等は世界人権宣言に反する基本人権、居住権、政治亡命権、戦時避難民保護等を蹂躪したものであり日本国新憲法違反である。特に司法権独立の伝統を以てる国であるにも拘らず行政権の一部に過ぎない入国管理庁が司法権の手続もなしに人間の逮捕、勾留、強制送還等を敢行している。もともとこの法は占領法規であつていわゆる独立したと云う今日において存在すべき性質でないもの悪されている。若し朝鮮人の密航、密貿取締上必要であれば適切な日本国内法によるべきである普通犯罪に対する制裁は日本国民と同様に出来ることになつている現在複雑な情勢と苦難の境遇においこまれている朝鮮人を差別的に苛酷なる処分に付することは以上上げた諸点と人道上友邦間の道義上根本的に考察さるべきことだと思います。

二、昨年外国人登録証明書第二回切り替えの時本県関係当局者と県内朝鮮人代表者との間に係官等の取扱と運営の面について取り交わされた協定の主なる点は提示権は社会常識通念上濫用しないこと、不携帯についても当時の実情を無視した処分はしないこと等を以て今後の円満を期する様協定しました。

三、その後県内各警察官は協定精神を無視し法自体にも反する幾多濫用を敢行した。その具体的実例は夷隅郡大原警察署に知人を尋ねに行つた朝鮮人南哲[石缶]氏を刑事部屋まで引張つて行つて外国人登録証明書を見せないと留置場へ打ち込むとおどかした。東葛飾郡田中村朝鮮人教員石泰珠氏を外国人登録証明書について調べることがあるから柏国警で呼び出して違反のない調べをやりながら薄給でさぞ困るだろう朝鮮人団体の情報でも以て来たら金をやる様な今にもやる様な態度を取つた。その他到る処で顔つきが朝鮮人に見えると直ぐ登録見せろと云ふのが現状であり私が千葉市警本署へ逮捕されて二十名位の警察官達と提示権使用に対する意見と解釈を聞いて見たらいずれも見せるため、見るための登録であると云われたのであきれる外はありません。外国人登録証明書は朝鮮人弾圧の道具であり犬の鑑札に等しい本質を警察官等の自から行為によつてその本質と意図を暴露したものです。

四、本件を道路交通取締法違反(無燈火自転車等)と結び付けて拡大解釈したことは三項に指摘した様に登録法の本趣旨に反して朝鮮人の弾圧と諸犯罪捜査に万能薬たらしめている。本件の重要な事実として私が無燈火違反で巡査派出所へ連行されて見ると私の外四名の日本人同違反者がいて五十才位の老人が仕末書の様なものをかいてからハンを捺して帰りました。その次私が調を受ける様になるや係の巡査は私の顔だけ眺めていたが最初どちらですかと云われたので住所か国籍かと反問したら国籍だと云われたので朝鮮だと答えるといきなり外国人登録証明書の提示を求められたので私は持つておりますがその提示の理由を聞いたら理由如何を問わず見せなければ現行犯で逮捕すると云う。私は提示権の使用は理由なしでは濫用になると云えば無燈火違反で仕末書をかくのに確認するためだ、では同じ違反で日本人は確認の方法をとらぬのに朝鮮人はとるのか、法は公平無差別ではないかと問答しているうちに警察の自働車が来て若い巡査七、八名に無理押しに乗せられて千葉の市警へ来た。

五、本署の十数名の警察官と私の間に見せる見せないと論争する時に私の背後から肩をたたくものがいるのでふりかえつて見ると千葉市警警備課山形部長であつた無論山形部長は私を知つているのでなーんだ姜さんぢやないか姜さんらしくないぢやないかいいかげんにして帰つたら良いぢやないかと云う。私は帰るにも逮捕されて帰られないぢやないか。その時山形部長は自分で解決すると云つて先ず私に無燈火違反の仕末書をかかせたのち若い巡査にいいあんばいにやれと云われたので私はその時こそ憤然として又登録見せろと云ふのかと聞いたら、山形部長も見せねばいけない。私は若い巡査達は身分の確認のため登録提示を求めるのだと云つている、上官であるあなたが私を証明して又と必要があるのか単に登録提示は朝鮮人を侮辱し抑圧する手段に過ぎないのではないかと云つて見せませんでした。公判の時山形部長を証人に申請しましたか却下されました。

六、本訴に対し、私が飽迄登録違反でないことを主張し私の人物と住所は日本人朝鮮人いずれも知る人が多く本県友納副知事さんは本件の円満解決を望み千葉市警を通じ留置された私に勧告の書簡を出しました。これ等の点と本事件の性質から見て何等私の身柄拘束必要なしにも拘らず担当阿部検事は勾留請求までして却下された様です。

七、本件二つとも慣例から簡裁でやるべきをどうして管轄まで超えて地裁でやることも理解に苦しむのでありますし本件の起訴から判決までいまだ日本全国にこの類の違反にこの様な方式でこの様な重罰は聞いたことも見たこともありません。

八、提示権(外登法全体に対しても)使用の解釈について日本の警察官は上下を問わず拡大解釈と他の犯罪捜査に利用しています「その職務執行に当り」と云う重要点は警察官は問題視していないのですが本件について検事は「交通違反を職務執行にあてた様ですが外録法の本趣旨とその違反以外に他の違反の職務執行に利用すべきでないと思います。殊更無燈火違反調べに身分確認の方法が先でなくても職務執行が可能であつたことは同時日本人違反者の調べが証明しているわけです理由如何を問わず提示に応じないと現行犯で逮捕するとか又応じないものの理由如何を問わず一名巡査のその場の判断で直ちに現行犯逮捕と云う絶大強制力のものであれば大変なことだと思います。提示に応じるのは任意から強制と云う段階があると思います。係官が絶大必要があつても応じない場合は強制で良いと思いますが本件の場合は必要もないのに逮捕までしたのだから係官が不当であり人権蹂躪であると思います。

以上指摘した外に千葉市警署長は本県友納副知事さんに本件は感情的になつているとか阿部検事が私を調べる時私が何故こんなにまでしますかと問えば重要な朝鮮人であるからとか論告の時は権力に反抗するとか判決言渡の時石井(謹)裁判長はすなをにやれば良いとかつまり如何なる不当な侮辱にも人権蹂躪にもおとなしく屈服していれば良いと云う意味ではないかと思います。そこで万事がうまくゆけばそれにこしたことはありません。私は半世紀間署長や検事、裁判官の云う事もやつてみました。決して良くならないことを知りました。日本の皆様は僅か八年間でも知つている様です。私は如何にしたら日朝両民族官民を問わず親しみ合つて行けるかを念じております。何故なら両民族を相い争はせようとする黒い手が動いているからです。この外国人登録法と出入国管理法は両民族を離間反目させ禍根を将来にのこした悪法であります。この法がなくなるまで良識ある裁判官諸賢の公正な運用と判断を得れば幾分でもこの禍が除かれると信じます。以上を以て私は道路交通違反は認めますが外国人登録証明書違反は認められません。起訴状と判決文には故なく提示に応じなかつたとなつておりますが私は以上の様に故あつて応じなかつたのです法の公平無差別を信じ無罪を要求致します。

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